茶屋町この顔 第二回 白江 秀知 さん

 道真公との約束を、守り伝えてきた千百年 

白江秀知さん
梅田駅にほど近く、人々が慌しく行き交う都心部に、綱敷天神社御旅社は鎮座する。
かつて “ 梅田 ” は、海岸であった地を埋め立て田畑地を拓いたことから、“ 埋田 ” と呼ばれていた。
しかし字面が悪いため、氏神さまである綱敷天神社に縁の “ 梅 ” の字を当て、いつしか “ 梅田 ” と呼ばれるようになったと伝えられている。
神職を務める白江秀知さんは、白江家の第56代目にあたる。
この白江家、全国各地で逸話が残る菅原道真公にまつわる一族。
「菅原道真公の従者だったと伝えられています」
その昔、伊勢神宮の神官であった白江さんの祖先は、祈祷の力を見込まれ道真公の従者の地位を与えられた。
「度会春彦というのですが、道真公が無実の罪で大宰府へと流される時も、息子ら家族とともに道中同行しました」
その左遷の途中、淀の川尻と呼ばれていたここ “ 梅田 ” の地で、今を盛りと咲いていた紅梅に魅了された。当時の梅田の地は、白砂青松の砂浜であったという。

「天橋立みたいな感じだったんじゃないかなと想像しています。道真公一行は、その海岸に船を着けて立ち寄りました。現在の太融寺町辺りです。その際に、船と陸とを繋ぐ綱を円座にして座ってご覧になったという話しが伝えられています」
円座にしたという綱は、現在も残されている。これが綱敷天神の名の由来となった。
「道真公の従者だった春彦は70を越える年。当時にしてはかなりの老体です。道真公は道中の苦難を気遣われ、春彦の親族を梅田の地に置いて行こうとしました。結局、春彦はお供していったのですが、息子ら家族はこの地に残りました」
別れの際、道真公は、梅の木の下で、残る者たちに自画像を手渡した。
「“白江”というのは、道真公がつけた名です。道真公は、御影(自画像)を置いて、この絵を自分だと思って、戻ってくるその日まで、ここで待っているようにと言い残しました」


白江さんの祖先の人々は、その時から梅田の地に根をはることとなった。道真公は大宰府で没し、戻ってくることはなかった。
「農業か何かで生計を立ててたんだと思いますよ」
百年の後、信仰の篤かった一條天皇により、道真公は護国の神として祀られることとなった。白江家と道真公が別れた梅の木のある場所には、“梅塚天満宮”という神社が建設され、白江家が神職として就くことに。綱敷天神社御旅社の祖にあたる神社だ。
その後、幾度となく歴史に翻弄されながらも、代々白江家が、神社を受け継ぎ守ってきたという。
「中世には兵火にあうなど、過去、何度も神社には危機が訪れましたが、守り抜いてきました。例えば、檀家制度施行(江戸幕府の寺請制度)の折には、神社を守るために常安寺という寺もつくりました。この寺は神仏分離令が施行されると衰退しました。先の世界大戦の折には燃やしてはならぬと、御影(自画像)と御綱は地中深くに埋めて守りました。ほか 、千百年前、道真公をおもてなしした時のレシピも伝わっています」
道真公との約束があるそうで、レシピは非公開、「秘饌」とのこと。
一子相伝で伝えられ、秋祭には神饌として御神前に供えられる。
「道真公が戻ってきた時に、その料理で迎えられるよう、伝え続けているんです。忘れないために年に1回つくる、そういう意味もあるんだと思います」

「明治初期には、梅田・茶屋町の氏神さまとしてお迎えしたいと土地の寄進があり、現在の地に鎮座しました」
戦火は免れたものの、大阪駅周辺は大規模開発の手が入り、西日本最大の都市として急激な発展を遂げる中、境内はかつての4分の1に縮小することになった。また、現在のお社は、昭和59年に、旧社殿の老朽化と、梅田の地を幾度も襲った淀川の洪水から御神体をお守りするため建て直されたもの。
また、“ 歯の神様 ”として有名な歯神社も綱敷天神社の末社である。
一族は、時々の流れに合わせながら、柔軟に対応してきた。
象徴である “ 梅 ” の手入れにも余念がない。
「夏場は、どうしても都市熱で弱ってしまいます。朝夕、バケツに4杯づつお水を与えています。長く家を空けることができないので、なかなか旅行に行けないですね。でも、この綱敷天神社御旅社の由来となった紅梅は、天神さまの霊跡として崇められ、日本三大祭の一つ、大阪天満宮の天神祭において、重要な役を担っています」と白江さん。
天神さまの依代として用いる為、まずこの梅の枝を借り受けに、大阪天満宮より、神童と神職が綱敷天神社御旅社まで参向し、梅の枝を受け取る神事が行われるのだという。儀式は “ 遣梅式(けんばいしき) ” と呼ばれる。
「この枝がなければ、天神さまは御神輿に移られる事が出来ないので、天神祭を始める事が出来なかったとも伝わっています。しかし幕末の動乱期に中止されてしまいました。それを平成22年に、およそ140年ぶりに復活させました。毎年7月24日には古式に倣い、神童が当宮まで来られますので、梅の枝をお授けしています」

現在、綱敷天神社 御旅社には、祈願を求めたくさんの参拝者が訪れるほか、新しくできた企業の地鎮祭など、氏神さまとして信仰篤く祀られている。

「私たちは、この地に根を下ろして、神への奉仕を続けてきました。歴史の一端を担う “ 天神信仰の霊跡 ” です。地域の中核として、地域活性の一助となれたらと、日々思っています」

綱敷天神社 御旅社は、千年以上もの間、歴史と喧騒を越えて、行き交う人々を見守り続ける。 

<了> 文責 椢原

綱敷天神社御旅社
所在地: 〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町12-5
ホームページ:http://www.tunashiki.com/

綱敷天神社御旅社については、「さんぽみち」「むかしのおはなし」にも詳細があります。




このコーナーは、紹介制の人物数珠つなぎ。
次回は、白江さんからのご紹介人物を特集します。
ヒントは、「茶屋町をしっかり支える人」。
第三回を、お楽しみに。