茶屋町この顔 第五回 藤本 学 さん
「中学をでてすぐに、アメリカに渡って、南カリフォルニアの高校・大学に通いました。高校からアメリカにいる人と、大学から留学をした人とで比較をしてみたことがあるんです。圧倒的に高校から通っている人の方が、語学力が高かった」と話すのは、茶屋町の老舗店“ ラピーヌ ”の藤本学さん。
「週末にはホームパーティ、サッカーでのチームメイトとの会話などで、半年くらいで言葉は追いつくことができました。そのくらいの年って、言葉も単純だし、内容も簡単。だから良かったんですね」
父親は、アメリカンスタイルのファッションと、音楽の発信地“ ラピーヌ ”を立ち上げた、藤本三郎さん。
“ 日本ヴィンテージデニムの父 ”と呼ばれる三郎さんの元、子どもの時からアメリカの文化に囲まれて育った。
「周りの子とは、明らかにファッションが違う。小さい頃は、意味もわからずにいましたけど、ごく自然にアメリカへと向かうことになりました。生まれながらにありがたい環境だったと思っています」
藤本さんは学業の傍ら、アメリカで買い付けた品を日本で販売する事業もスタートさせた。
17歳の時には、大手ブランドとの取引も行っていたという。
仕入れたヴィンテージデニムやアメカジは、日本で飛ぶように売れた。
「若いとなめられるから、声を低くして、年上に見えるように工夫したもんです」
日本に戻ってきてからは、三郎さんとともに“ ラピーヌ ”を展開。
37歳になった現在は、3店舗を構えている。
アメリカ・中国・ヨーロッパを行き来しながら、経営を行っている。
オリジナルヴィンテージレプリカブランド「RODEO UNCLE」は、ラピーヌが1986年に立ち上げて以来、国産本格派ブランドとして、真のデニム好きに愛され続けている。
「まだ、ヴィンテージデニムのレプリカをつくるという発想が無かった時代。布地や縫製など、日本には何のお手本もなかった。ヴィンテージデニムを紐解き、縫い方や糸、ボタンなど、研究し尽くしました。父が、工場も一から育てました。世界ブランドになりつつあるEVISUジーンズやフルカウントも、ラピーヌの流れを汲むんですよ」
ライブ活動でアメリカ進駐軍のキャンプをまわっていた三郎さんは、単にものを売るということではなく、古き良き時代のアメリカ文化とともにファッションを届けた。
「デニムブランドというと、有名ブランドの名があがりますが、茶屋町にアメカジの礎をつくったラピーヌがあるということを知ってほしい」と藤本さん。
← RODEO UNCLE のアイテムを手にする藤本さん。「洗うほどにでる “ ヒゲ ” の出方も計算しているんですよ」
RODEO UNCLE のファンからは、関東などへも出店してほしいという声もあるとのこと。
「でも、大量生産で質を落とすことはしたくない。一つひとつ丹念につくっているんです。だから、できる範囲で少しずつ展開していきたいという気持ちです」
ラピーヌは、1階はアメリカンダイニング風レストランで、夜にはライブバーにもなる。
「ファッションと音楽と食は切り離せません。服好きの感覚の鋭い人たちが集まってくる店が、飲食と音楽のスペースへと育ったのも自然なことだったのでしょう」
RODEO UNCLE の愛好者には、ミュージシャンも多い。
そのつながりが広がり、口コミでライブをやりたいという人が絶えないのだという。
「楽器が当たり前にある中で育ったので、中学からギターをさわるようになりました。でもライブではギターばかりになってしまうので、最近ウッドベースも初めたんですよ」
藤本さんは、ライブのセッションにも加わることも。
ラピーヌでは、ジャズ・ラグタイムなど、さまざまなジャンルのライブが行われている。
父親の三郎さんの年代から、学さんの世代まで、年代層も幅広い。
「チェーン展開をする気はありません。レストランも、ライブハウスも、会いにきてくれる人を大切にしたいと思っています」と藤本さん。
「茶屋町は昔は何にもなかった。でも今は、キタを代表する商業・ファッション・流行の発信のまち。文化の情報発信は、僕らラピーヌが最初からやってきていたことです。感受性の高いこのまちで、企業だけでなく、まちづくりのメンバー等ともつながりやすくなりました」
イベントも連携してできたらいいな、と藤本さんは話す。
「茶屋町は昼も夜も落ち着いて散策できるまちです。ぜひ散歩がてら来て、ラピーヌにも立ち寄ってみてください」
・ラピーヌ ホームページ
<了> 文責 椢原
このコーナーは、紹介制の人物数珠つなぎ。
次回は、藤本さんからのご紹介人物を特集します。
さて、どなたになるのでしょう。
第五回を、お楽しみに。